人生めも

戯言

2.25


ただいま。今日は凄く楽しい旅をした。というのも、全てが滑稽に見える現代離れした旅は、幼少期を思い出すのに十分過ぎるほどの要素たちが散りばめられていたからだ。
私はよく忘れ物をする質だ。そして、私は今日という日に遂にやってしまった。携帯電話を車の中に忘れたまま東京へ旅立った。気付いた時にはバス乗り場だった。絶望感と罪悪感に押し寄せられながら、バスに乗り込んだ。友人はありえないでしょう、と笑う。そうだ、ありえない。ネット依存症な私にはありえないことだ。これから5時間、往復10時間、もはややることはなく、あれだけ充電してきた携帯充電器は意味を持たないただの荷物になってしまった。悲しい。広角レンズは持ってきたのに、携帯はない。充電器は持ってきたのに、携帯はない。なんとも言えない旅のはじまり。私はひたすらに眠り続けた。
目を開ければ、池袋駅に降り立っていた。なんとも早いものだ。そして、友人の行きたいカフェへと案内し、milky wayという星座カフェに立ち寄った。自分の星座パフェは運悪くヨーグルトだったためやめた。なんせお腹が弱い。そしてこれからおよそ4時間はトイレに行けないだろう。私は無意識におとめ座パフェを頼んでいた。
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milky wayといえば、SexyZoneの名曲『milky way』が頭に浮かぶ。何とも素敵な曲である。パフェが届いて気づいたことがある。何故おとめ座パフェにしたのだろう。理由を考えてみたひとつは、好きだった人たちが皆おとめ座であったからではないか。渋谷すばるもそうだ。そしてよく考えてみれば、のんちゃんは獅子座だった。間違えた。次は是非とも獅子座を。

私はあることに気付く。携帯で写真撮れないなんて悲しすぎるから、インスタントカメラ買っちゃえば????考え出したら止まらないのが私だ。速攻近くの電気屋へ走り、ライトワンだった写るんですを手に取る。懐かしい。

友人と写るんですを使ってみる。ジリジリとネジを巻く音、小さな四角い世界を覗く、静かなシャッター音。これが俗に言うエモさか。

なんとも、この現代社会において、携帯電話を不携帯し、写るんですで写真を撮る22歳は滑稽である。それすらも楽しめるようになったから大人になったと思う。取り直しのきかない写真撮影、盛れない写真、すべて貴重なものだ。現代的では無いものが、一番現実を映してくれるものなのかもしれない。
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そして向かうは、大井町。今日の目的は劇団四季、リトルマーメイドだった。このために来たのだ。舞台と言えば、オペラグラス。ヲタク的には必須アイテムである。しかし手に持っている人はあまりいない様子だ。これが現場の違いか、なんて思いながら開演を待つ。

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素晴らしい作品だった。それを強く感じたのは、カーテンコールの一体感だ。出演者の並んだ姿を、前のめりになり拍手を送る観客に胸を打たれた。愛されている、劇団四季は、もしかすると凄い世界なのかもしれない。時代に流されない想いが宿っている。長年のファンも多いのだろう。伝統と成長を繰り返し成し遂げていく舞台、愛されるべき人たちだった。
アンダーザーシーの世界は、私たちにとって物凄く魅力的であり幻想的な世界である、と共に、私たちの現実世界にも、美しく素晴らしいものたちが宿りキラキラと輝いていることを、アリエルから学んだ気がする。そのキラキラが目に見えないとしても、どこかに隠れているとしても、私たちはそれを、見逃してはいけない。


帰りにつけ麺を食べながら思った。なんと滑稽な姿なのだろう。まだ夕方4時である。つけ麺は美味しい。東京にいる。携帯はない。写るんですはある。なんとも滑稽だ。


この小旅行で得たものは大きい。写るんです、とても楽しいので、たまには使っても良いかもしれない。滑稽だけど。滑稽だから。たまには携帯電話を不携帯しても良いかもしれない。滑稽だけど。滑稽だから。






久しぶりに見た携帯電話は通知のオンパレード。その中に会社からの着信が入っていることに気付き、全く滑稽じゃないと私は顔を青くした。

前言撤回、携帯電話を不携帯なんて良くない。